大判例

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東京高等裁判所 昭和39年(ネ)1973号 判決

控訴人 東京都

被控訴人 木下立嶽

主文

原判決中控訴人敗訴の部分を取消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事  実〈省略〉

理由

一、原判決理由記載中一、二、五の(一)及び六の(一)については、当裁判所の認定判断は、右と同一であるから、ここにこれを引用する。

ただし監獄法施行規則とあるのは、旧監獄法施行規則(明治四一年司法省令第一八号)と改める。

二、雑誌の閲読禁止について

原審証人塚本清市、同真木幹夫の各証言によると、目黒警察署の警察官が被控訴人にその所有の文芸春秋を五日間しか閲読させなかつたことと中央公論の購読を許さなかつたのは両誌が時事の論説を記載した雑誌であることから、これを理由としてその閲読を禁じたものであることが認められる。ところで旧監獄法施行規則第八六条第二項は新聞紙および時事の論説を記載するものは其閲読を許さないとしている。

控訴人は、右の規定の合理的根拠として、時事の論説を記載する文書図画は、雑居房における特殊な精神状態あるいは個々の被疑者等の平常心を失い易い精神状態の下にあつては、いたずらにこれを刺激して監獄内の規律維持に害を及ぼし、あるいは精神的疲労を生じさせて円滑な捜査取調の遂行を妨げるおそれがあり、しかも、個々の場合にそのようなおそれがあるかどうかを判定することは極めて困難であるから、一般的にこれが閲読を禁じたもので、まことにやむを得ないこととなすようである。

なるほど、時事の論説を記載したものでもその内容如何によつてはその閲読を許容することが控訴人主張のように監獄内の規律維持に害を及ぼし、または捜査上の支障を来す危惧が必ずしもないとはいえないが、そのことは時事の論説を記載したものの閲読を全面的に禁止する理由にはならないし、個々の場合にそのようなおそれがあるかどうかを判定することが困難であるとしても、そのために、一般的にこれが閲読を禁止とすることがやむを得ないとは考えられない。元来旧監獄法施行規則第八六条第二項の主たる立法理由は、その閲読を許すことは立法当時の行刑思想の下においては社会からの隔離を目的とする行刑の原理にもとるということにあつたものと解される。しかるにその後、行刑思想が変化し、新聞および雑誌の閲読は、在監者の処遇上、教化上むしろ必要とされ、さらに戦後は憲法の精神に則り被収容者の思想の自由を確保するとともに世相の把握に努めさせるべきであるとされ、一方いわゆる特別権力関係の理論において、従来は、在監関係は一種の特別権力関係であるとしてこの関係においては基本的人権は保障されないとされたものが、現行憲法の下においては、基本的人権の制限は特別権力関係を設定する目的に照らし客観的に必要な範囲に止まらなければならないとされ、近時さらに、在監者は入監後も原則として基本的人権を保障されるものと解すべく、国民の基本的人権に属する「知る自由」に対する制限は特別権力関係の下においても、合理的理由のない限り加えらるべきでないとし、この見地から、新聞紙及び時事の論説を記載するものにつきその閲説を全面的に禁止する右法条は違憲であるという見解が現われるに至つた。しかし、かりに右法条を違憲であると判断することが正当であるとしても、本件雑誌閲読禁止当時において、当該地位にある者に通常期待し得る法律知識と注意をもつて自己の行為が違法であると容易に判断することができたであろうといい得る程、その違憲であることが判例・学説上明白であつたとは断じ難いから、当該警察官がこれを違憲でないと解釈したとしても、その判断において故意又は過失あるものとは認められない。したがつて、被控訴人のこの点に関する損害賠償請求は公務員の故意、過失という要件を欠く点において排斥を免れない。

三、入浴について

在監者の入浴の度数につき旧監獄法施行規則第一〇五条(但書)によると、一〇月より五月までは七日毎に一回を下ることを得ずと定められているが、この規定は、要員、施設の都合いかんにかんがみ、常に必ずしも厳格に例外を許さない趣旨で定められたものではなく、むしろ、よるべき基準を定めた訓示的規定と解するを相当し、この規定が在監者に七日に一回入浴を享有すべき権利を付与したものとは解し難いからこの規定に違反したからといつて、直ちに違法ということはできない。のみならず、たとえ右規定どおりに入浴させられなかつたとしても、それによつて在監者に不当な非衛生、不潔を生じなければ人権の侵害があつたものということはできない。従つて、本件において、偶々、前段認定の事情により認定のように、右規定どおり行われなかつた事実があつても当時は厳寒期であつたこと、被控訴人は通常の場合に比し肉体的活動が少かつたこと等控訴人主張の事情を考慮すると、これにより、被控訴人の人権が侵害されたとみられる程の不当な不潔、非衛生が生じたとは考えられないから、被控訴人の権利が侵害されたものとなす主張は到底採用し難いものといわなければならない。

四、しからば、以上の点について関係公務員の違法措置により損害を加えられたとして国家賠償法に基づき控訴人に対し損害の賠償を求める被控訴人の請求は、いずれも、理由がないことは明らかであるといわなければならない。よつて、右請求を認容した原判決の部分(控訴人敗訴部分)を取消し、被控訴人の請求を棄却することとし、民事訴訟法第三八六条、第九六条、第八九条にのつとり主文のとおり判決する。

(裁判官 福島逸雄 三和田大士 岡田潤)

控訴人の陳述

第一 図書の閲読を制限したことについて

一、公務員が法令を正しく適用、執行したのに、たまたま当該法令が違憲無効であるために、その執行行為がかえつて不法行為となるというためには少なくとも公務員に対し、その執行しようとする法令の実質的効力を審査する権限が与えられていなければならない。

しかるに、公務員はただ誠実に法令を執行する義務を有するだけであつて、執行しようとする法令の内容が違憲無効であるか否かを実質的に審査する権限を有していないのである。

何となれば、もし各公務員が審査権を有し、当該法令を無効と判断すれば執行しないということになれば、行政の秩序ある統一的運営の上に甚だしい障害を生ずることになるからである。

右のとおりとすると、公務員が違憲無効である法令を執行したために、他人に損害を与える結果になつたからといつて直ちに当該公務員の行為を不法行為であるとすることはとうてい肯認することができない。以上の次第であるから、目黒警察署の公務員が、監獄法施行規則第八六条を誠実に執行するため、被控訴人に対し本件図書の閲覧を制限したことにより被控訴人の権利を侵害する結果になつたとしても、この場合同公務員の行為は、違法性を阻却するか、さもなくば故意、過失を欠くものであつていずれにしても、同公務員の本件行為が不法行為となるための国家賠償法第一条の要件を欠いているものである。従つて控訴人の損害賠償義務もないことが明らかである。

二、しかも、監獄法施行規則第八六条が在監者に時事の論説を記載するものの閲読を禁止しているのは、以下述べるとおり合理的な根拠に基づくものであつて違憲ではないと考えられるので、同規定に基づき目黒警察署の採つた本件処置は何ら違法ではない。

被控訴人は、刑事被疑者として目黒警察署の留置場に収容されていた者であるが、留置場なるものは、本来は刑事訴訟法による被疑者を逮捕留置するための警察官署の附属施設であるが他面監獄法第一条第三項によつて、いわゆる代用監獄として利用できることになつているのである。

この代用監獄には、受刑者も収容されるけれども、大体において被疑者が多いのであるから「時事の論説を記載するもの」の閲読禁止の必要性の有無も、代用監獄内の紀律維持の面と被疑者に対する捜査取調べの上の要請の面との両面から考察しなければならない。

留置場には、独房と雑居房とがあるが、被控訴人は雑居房に収容されていたのである、この雑居房においては、多数の被疑者などが雑居しているので、その集団生活による精神的ふん囲気は、一種の共同体意識を生み、少しの刺戟でも好ましくない精神状態をかもし出す危険があるのである。従つて、在監者の読むものでも、むやみに好奇心をそそつたり、破壊的思想を醸成したり、その他いたずらに批判的精神を興奮せしめるようなものを読ませることは、留置場の紀律保持の上から適当でないしまた、被疑者は被疑事実について捜査取調べを受けている者であつて、おおむねは精神的疲労におち入り、ともすれば平常心を失い易い状態にあるから捜査、取調べを円滑に遂行できるようにするためには、被疑者の精神的状態をできる限り平静良好の状態に保たせる必要があり、従つて、いたずらに精神的疲労を生じさせたり、刺戟を与えるような読みものについては、制限する必要があるのである。

ところで監獄法施行規則にいう「時事の論説を記載するもの」とは、外交、政治、経済、社会万般の事実事件などの報道と、それに関する批判、評論などのほかに、文芸、娯楽なども含んだいわゆる月刊の総合雑誌を指すものであるが、こうした雑誌は、普通ならば、一般の教養慰安に役立つ有益なものであつても上述したような雑居房における特殊な集団的精神状態とか、被疑者個々の、ともすれば、平常心を失い易い精神状態の下にあつては、逆に物ごとの批判的精神を異常に刺戟したり、無用な興奮をひき起こしたりして、いたずらに精神を疲労させるだけで、かえつて好ましくない効果を生ぜしめるおそれがなくはないのである。

もつとも、被疑者個々の性格、教養の程度その他の諸条件いかんと当該雑誌の具体的内容のいかんとを仔細に検討すれば、右に述べたようなおそれの全くない場合もあるかも知れないけれども、代用監獄は、正規の監獄に比べて設備も充分でないしその管理運営に当る職員の数も充分ではないので、閲読させて差支えないかどうかの個々具体的な詳細かつ正確な検討をすることは実際問題として極めて困難である。

以上のような諸事情を考えると、代用監獄に収容されている被疑者に対して時事の論説を記載した綜合雑誌をすべて閲読させないとすることは、監獄の紀律維持のためと、また、刑事捜査を円滑に支障なく遂行しうるように、その万全を期する必要上、まことにやむを得ないものである。

以上述べたとおり、時事の論説を記載する雑誌の閲読禁止は、合理的根拠があるから違憲でないというべきであつて、従つて被控訴人に対して本件文芸春秋の閲読を禁止した処置は、何ら違法ではないと考える。

第二 入浴問題について

一、控訴人が被控訴人に対し、七日間に一回の入浴をさせることができなかつたのは、たまたま入浴日において検察庁における被控訴人に対する取調べが長引いたために入浴の機会を失したためなのである。もつともそのような場合に翌日にでも入浴させることができればよいのであるが、そのためには毎日あるいは隔日に風呂をわかさなければならないが、それに要する経費は警察署に配布される限られた予算ではとうていまかないきれないのである。

右のような事情のもとにおいては、被控訴人に対して七日間に一度の入浴をさせることができなかつたのは実際には不可抗力という外ない。

二、また右の点は別としても、がんらい監獄法施行規則第一〇五条は、関係公務員に対し、在監者の入浴の回数について一応の基準を示した訓示的規定と解すべきものであるから、やむを得ない事情で規定どおりの入浴がさせられなかつたからといつてそれが直ちに違法となるものではない。

本件の場合は、前述のようなやむを得ない事情で結局一三日間に一回の入浴ということになつたのであるが、しかし当時は一月から二月にかけての気温、湿度ともに極めて低い厳寒期に当り、かつ被控訴人は勾留されているため通常の場合に比して肉体的活動度も極めて少ないことを併せて考えると一三日間に一度の入浴ということが、前後一回だけあつたからといつて被控訴人に対する人権侵害とみられるほどの不潔、非衛生が生じたとはとうてい考えられないのであつて、かかる点からいつても被控訴人に対する本件措置をもつて不法行為とすることはできない。

第三 昭和四〇年一二月九日付法務省矯正局長名「調査嘱託書に対する回答について」と題する書面(当庁のなした調査嘱託に応じたもの)所載昭和二一年一〇月行刑局長通牒行甲第九八一号「行刑教化の充実について」及び昭和二七年八月八日矯正局長通牒矯正甲第二三号「新聞の縮刷版の差入等について」は、いずれも控訴人の警視総監に対して通達されたことはなく、従つて、目黒警察署長においては全く関知していなかつたものである(乙第五号証参照)。

なお、代用監獄たる警察署に附属する留置場は、刑務所、拘置所と比べて、施設、その維持管理の予算、職員数等において著しく劣つており、またその機能においても、教誨教育の面を重視する刑務所、拘置所とは、趣きを異にしているのであるから、右通達は、もともと代用監獄には適用にならないものである。

被控訴人の陳述(省略)

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